1.森林の話

 

日本三大美林

 

 我が国に、木の文化を生み出した主要樹種をあげるとすれば、一にヒノキ、二にスギ、三にヒバという順序になるだろう。材質がすぐれているばかりではなく、本来は、その樹林も美しく、多くの魅力を秘めている。木曽、秋田、青森の天然林は、日本の三大美林に選ばれている。(井原俊一著「日本の美林」より)

 

 

●木曽ヒノキ赤沢休養林

 木曽からヒノキが搬出されるのは、室町時代ごろからと言われています。鎌倉時代には、鎌倉円覚寺、南禅寺、銀閣寺などの造営に使用され、伊勢神宮の遷宮用材にも使われるようになりました。豊臣秀吉は木曽谷を直轄領にして、木材を大坂城や聚楽亭などの建築に利用しました。

徳川の世になると戦乱はおさまり、各城下町が栄えて世は未曾有の建築ブームを迎えました。17世紀初め、江戸城関係だけで本丸は五回消失、七回の造営が行われています。さらに名古屋城の本丸天守閣のみで三万八千本の木材が使われたそうです。

 

 こうして木曽ヒノキは大量に伐採され、その結果資源は枯渇してしまいました。そこで1665年、尾張藩は一転して厳しい森林保護政策を打ち出しました。18世紀はじめには、後世に語り継がれることになる「ヒノキ1本首一つ」という過酷な掟もでき、さらに「木曽五木」の指定も行いました。

 このように山林資源を独占することで財源を確保するとともに、持続可能な山林資源の回復をねらいました。つまり、木材資源を減らさないように、いつまでも材木を供給できる山づくりに挑んだのです。

この山づくりのための天然更新法の工夫が、後に「六十六年一周之仕法」と呼ばれた伐採計画で、木曽五木は7寸(21cm)~1尺3寸(39cm)(サワラは7寸(21cm)以上)を伐採し、サワラを除く四木の1尺4寸(42cm)以上の木は緊急用(式年遷宮の用材など)として残し、最初に伐採したところの6寸(18cm)以下の五木は66年後に成長して再び伐採できるというもので、抜き伐りを行いながら太い木を育てていくという育林技術でした。これが後年まで美林を保つ大きな原因となりました。

 

 木曽ヒノキは他の地域のヒノキに比べて成長に2倍近くの時間を要するので、青森ヒバ、秋田スギと同様で木目が細かい材木になるのが特徴です。弾力性があり、美しい白い色を長期間保つことができるのも特徴です。

しかし今、木曽ヒノキを脅かす事態が起こっています。ヒノキの林床の下には、日陰に強いアスナロ(ヒバ)しか生えてきていません。このままでは、ヒノキは生命力の強いアスナロに取って替わられることになります。

これは上木の切り方に問題があったと考えられています。従来、生態系の破壊を恐れ、天然林での切り抜き率を20~30%にとどめてきました。が、これでは少ない。日陰に強いアスナロしか生えてこない。ヒノキ苗が育つためにはもっと日光が必要です。尾張藩がおこなったようにもっと思い切って上木を切り開き、利用しながらヒノキをそだてる育林技術がこの地では適しているようです。(写真は、赤沢休養林での当会研修の模様)

 

 

●秋田スギ秋田スギ

 秋田スギの存在は、古くから中央に知られていました。秋田実季(さねすえ)が豊臣秀吉の命を受け、伏見城修理のために切り出し、現在の能代港から大坂へ運んだという記録が残っています。

大量に伐採が始まるのは、関ケ原の戦いが終わったあと、1602年佐竹氏が常陸から移封されてからです。移封による石高の激減、城下の整備や土木事業、藩財政の立て直しのため、スギの原生林はほぼ100年間で切りつくされてしましました。その後、何度かにわたる林政改革(山林を一定区域に分け、伐採順序を決め、30年ごとに順番に切り出す「番山繰制度」、択伐後に実生をそだてる天然林方式)で、約100年の歳月を要し美林をよみがえらせました。

 

 「天然秋田スギ」は、人工林スギ「秋田スギ」のように間伐などの作業を行って育てたものではないので、成長はゆるやかです。さらに寒冷地という厳しい環境で少しずつ育ってきた天然秋田スギは、年輪の目が細かく、赤みが強く、とても美しい木目を持ち、清純爽快な香りで構造的に強く腐りにくいという特性があります。年輪幅がそろい、木目が細かく強度に優れ、狂いが少ないことから、古くから住宅用の建築材として利用され、特に美しい柾目を利用した高級内装材、天井板等に使用されています。 また、「曲げわっぱ」や「桶・樽」などの原材料として伝統工芸品としても利用されています。

 

 耐陰性が非常に強く、親木から出た下枝が発育して繁殖する「伏条性」であること、老木になってからも成長が持続することなども秋田スギ特徴です。しかし、近年の乱伐により蓄積が減少し、天然秋田スギの供給は、平成24年度をもって終了しました。現在では、実生による植林が東北各地で広く行われています。「天然秋田スギ」は、保護林や風景林として残るのみです。(写真は、東北森林管理局HPより)

 

 

●青森ヒバ青森ヒバ

 16世紀後半、初代津軽藩主の津軽為信によって津軽地方が統轄され、藩の諸制度が確立されるにしたがって、山林に関する諸制度も整備されてきました。 成木になるまでに長い年月がかかる「青森ヒバ」が、現在も美林として残っているのは、藩政時代からヒバ山をきびしく守ってきたためです。ヒバの伐採は津軽藩(津軽半島)、南部藩(下北半島)とも、藩の管理下におかれ、伐採後は「留山(とめやま)」として入山を禁止するなどの掟が設けられて保護されてきました。

 

青森ヒバは、ヒノキ科アスナロ属に分類される針葉樹です。ヒバは日本特産の常緑針葉樹で南方変種のアスナロとは異なり、北方変種でヒノキアスナロとも呼ばれています。

青森ヒバと呼ばれる種類のヒバは約80%が青森に分布しています。 青森ヒバの特徴は、他の木の3倍の年月をかけて成長する点です。ゆっくりと時間をかけて成長する分、色や木目など見た目が美しいだけでなく、頑丈できめ細かい材質になるので、腐りにくく、高級木材として扱われています。

 

ヒバ材には、ヒノキチオールやメタノール可溶性成分などが含まれています。このため、材質は湿気やシロアリ等に非常に強く、腐りにくい特性があるため、古くから城、神社仏閣などに使用され、平泉中尊寺の金色堂(岩手県)、弘前城、岩木山神社楼門(共に青森県)など数多くの建造物が知られており、また、一般住宅用の建築用材などに利用されています。 また、青森県下北半島猿ヶ森のヒバ埋没林の古木は、約800年以前に埋もれ木となったと推定されていますが、現在でも大半が用材として使えるとともにヒバ特有の香りを保っています。

「木曽ヒノキ」「天然秋田スギ」と並んで、「青森ヒバ」は日本三大美林の一つに数えられています。しかも「青森ヒバ」の蓄積量は、木曽ヒノキの約三倍、天然秋田スギの約七倍もあり、将来とも安定して供給できる建材です。(写真は、切り株上の「青森ヒバ」の実生)